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大船渡 佐々木選手 登板回避騒動にみる「使用者優先の原則」と「価値」

夏の高校野球全国大会の岩手大会で、令和の怪物、豪腕とも高い評価をされていた佐々木選手を擁する大船渡高校が決勝戦で敗れた件。

準決勝前にはヒジの違和感を訴えていたという佐々木選手は、決勝では温存されたまま負け、甲子園出場が叶わなかったことで、スポーツ紙の一面を飾るくらいの議論が沸き起こっていますね。

目の前の一瞬、甲子園至上主義ではなく、才能を守り未来を選んだ監督の采配とも言われています。

この件について、バリューエンジニアリング(VE)で言うところの「使用者優先の原則」、「価値」という観点で考えてみたいと思います。

「使用者優先の原則」とは、VE5原則の1つで、常に使用者(お客さま)の立場になって考えることです。

さて、この佐々木選手の件ですが、使用者をいくつかの視点から見てみたいと思います。

“監督”を使用者とした場合。
監督は、甲子園出場を果たすことが責務ですが、選手たちの《身体・健康状態を守る》義務も抱えています。
そういった側面からは、例え決勝戦とは言え、佐々木選手の《身体を守る》義務を果たしたとも言えます。
しかし、監督が果たすべきファンクション(機能)はなにか?
こう考えた時に、《勝利を得る》、《選手の目標を叶える》というファンクションも持ち合わせているわけです。残念ながら、これらのファンクションを果たすことのできない判断であったということになります。

“チーム(他の選手)”を使用者とした場合。
チームは甲子園出場、優勝を最大の目的として3年間の活動をします。
この場合、痛み・怪我の状態は関係なく、佐々木選手が100%に近い状態で投球できるのであれば、出場させることが甲子園出場という目的を果たす手段として最も確率の高い選択と考えられます。
どうなろうと、甲子園行きに力を貸してくれ、助けてくれ、そんな思いがあってもおかしくないでしょう。

次に、”プロ野球ファン・応援者”を使用者とした場合。
最後の夏の大会だけでなく、プロ野球の世界でも長く活躍する姿を見ることを楽しみとしているため、大事をとって欠場してもらった方が喜ばしいことになります。

“プロ野球関係者”を使用者とした場合も、同様でしょう。

応援者の中でも”甲子園で活躍する姿を応援したいファン”にとっては、まずは甲子園に行ってもらわないといけないわけで、そのためには無理をしてでも佐々木選手に出場してもらい、甲子園行きを決めて欲しかったと思います。(せめて、80%程度以上の力を出せる状態であれば、ですが)

さて、私が最も考えたのは、”佐々木選手”が使用者であった場合です。
甲子園に出場し、あのマウンドで投げるために、高校生以前からの厳しい練習を積み重ねてきたのだと思います。
もちろん、将来的にはプロ野球やメジャーリーグといった目標も持っていたかもしれません。
しかし、それは、甲子園に出場し活躍をした上での目標であったと考えられます。
甲子園に行けなければ、投げなかった事への後悔や悲しさ、苦しみをこの先抱えていくことでしょう。
腕が引きちぎれようと投げたかったと思います。例えそれが投手生命を短くしようとも、仲間たちと甲子園に行くことが、佐々木選手には最も価値のある事だったのではないかと思います。
(直接のインタビューをしたわけではないため、本意は分かりません)

このように、VE的に考え、それぞれの使用者の立場に立つと、様々な考えや選択肢が存在することが分かります。

VE活動において、まず使用者を明確にすることが求められるのは、それによって価値創造・問題解決の方向性が全く変わってくるからなのです。

ピッチャーとして甲子園に出場した友人がいます。随分な投げ込み過ぎのせいもあるのか、その後は社会人野球で肘を壊し、数年活躍したのみでした。

中学生時代に肘を故障しながらも甲子園を目指し続け、大学生の時にはキャプテンも務めたけれども、投げることのできない状態にまでなり、プロどころか社会人野球でさえも活躍することもできなかった友人もいます。

彼らは言います、「後悔はない」と。
このことを思い出すと、何が正しい道なのか、そもそもどれも正しい道なのか、考えさせられます。

野球には、プロとアマチュアという2つの世界があることも、様々な視点や意見を生み出しています。
甲子園出場というのは、全国的にも注目される大会であり、小さな頃から抱えてきた最初の目標であり、アマチュア野球の世界でも最も大きな舞台です。

本人にとっては、甲子園のマウンドに立つことは最も価値の高いことなのです。
なぜ、アマチュア野球最高の目標達成の場面に、プロ野球という異なる世界が影響してこないとならないのでしょうか。

甲子園に行くということは、どれだけのリソース(時間、辛さ、苦しみなど)を費やしてでも、ファンクション(機能)を達成したいと思える「価値」のあることなのです。

なのに、プロの世界も同じ土台で考えて、短絡的かつ感情的な意見が行き交っているように感じます。
こんな時にこそ、VE思考で、達成すべきファンクションななにか?だれのため?使用者は?その場合の最も価値の高い選択は?と考えてみると、客観的な考え方をすることができます。

「使用者」によって、「価値」の捉え方は異なるという事例として良いテーマだと思い、記しました。

なお、VEには「使用者統合法」という手法があります。
ある特定のテーマに対して複数の使用者が存在する場合に、どのファンクションに重きをおくべきかを分析する手法です。

本記事のようなケースに適用して、価値を向上させる方針を判断することができます。

製造業で育ってきたVEですが、このようなスポーツという全く縁のなさそうな場面にも活用することができる創造的な管理手法だということを知っていただきたいと考えています。

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